ひすいこたろう+よっちゃん(著)「Happy名語録」32P
幸せを感じることのできる“心”を手に入れるしかないのです」
幸福と感じるのは、人それぞれ様々ですが、例えば名誉・お金・健康・・・とか、いろいろあるとは思うのですが。
しかし、それらはある程度手に入れている人にとっては、空気とか水みたいなもので、
別に幸福とは感じていないかもしれない、と思うんです。
例えば、いくらお金持ちでも、私は決して「幸せ」だと思うことはできないと思っています。
往々にして、お金持ちは夫婦仲が悪かったり、欲深かったりして、決して心が満たされている人はほとんどいない、と思われます。
平和な世の中というのも、もう皆当たり前に思っていて、平和な世の中のありがたみを忘れてしまいがちです。
健康な人、健康である、ということも同じで、ありがたみに気付く人のが余りいないような気がします。
つまり、幸福だと思うには、幸せを感じることのできる“心”を手に入れるしかないのです。
案外、平々凡々と暮らしていけるのも、そういう幸せを感じることのできる“心”を
持っていれば、幸福だと言えると思うんです。
この世の中には、不平・不満を言う人が多いのですが、そういう意味では、もっと自分の環境に満足して、満ち足りた心で暮らしていった方がいいような気がします。
「足るを知る人は富む」とか言われているように、ある程度自分の環境でやっていく・満足するということが大事なような気がします。
余り欲深くならない、相手に必要以上に要求しない、ということが大事だと思われます。
ついつい思いついたことを羅列すると。
人の不幸は蜜の味である、とはよく言われていることですが、そういう人のアラ(欠点)ばかりを探しながら生きていくよりも、人の良いところ・優れているところを見て、自分も発奮して、いいところを自分に取り入れる、という生き方の方がずーっといいと思います。
美人はブスの人の心がわからない、理解しようとしないのですが・・・。
もっと美人はブスの人の心・気持ちをわかるようになる必要があると思うんです。
美人は周りからちやほやされて、努力することをしない、という傾向になりがちです。
美人はこの努力するとか、人格の向上なんかに努める、ということをしないから、往々にして「心不美人」になる人が結果的に多い、ということが言えると思います。
美人はこの心が醜い(努力しない・人間を磨かないという意味において)傾向にあるということができるかもしれません。
反対に、ブスは心が美しい(努力する・人間を磨く必要性に迫られるという意味において)可能性が大きくなる、ということができるかもしれません。
同じように、お金持ちは貧乏人の心とか気持ちがわからない、理解しようとしない、という傾向になりがち、だと思うんです。
政策なんかでも、お金持ちに対する政策のみならず、この貧乏人を救う政策、セーフティネットのような政策の方が、もっと大事なように思われます。
知れば知るほど、知らないことの多いことを知る、と言われています。
同じように、やればやるほど、やっていないことの多いことがわかる、と思える今日この頃です。
言い過ぎの感、無きにしもあらずですが・・・。
ぶつぶつ独り事のように、グッチゆうぞう?、愚痴を言ってしまいましたが・・・。
されど、言うは易し、行うは難し、です。
愚痴はよそうぜ、陽気に踊ろう、それがね、それが浮世というものさー♪
お後よろしいようで。
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