松井 秀喜(著)「不動心」155P
母は「怒ったら負け」とよく言っていました。
国と国の戦争も、国が怒ったことにより始まる気がします。
怒っている時は、冷静さを欠いており、冷静に物事を考えることが出来ず、それにより
判断を誤ることが多いので、後悔するんだと思います。
怒りにもいろいろなものがあると思いますが、行き過ぎた怒りはよくないんじゃないでしょうか。
怒りも、文句を言うのと似ていて、ある程度はストレスの解消とかフラストレーションの発散のためには必要な気がします。
しかし、もし怒りとか文句を言われた相手が、許容できる範囲であればいいのですが、
度を越して相手を傷つけるとか、不快な感情がいつまでも残ってしまうようなら、良くないなあと思ってしまいます。
夫婦なんかの場合でも、どうしても育った家庭環境が違うので、どうしても意見が食い違うことがあります。
自分の意見を余り押し付けない、意見が違って当たり前、と思った方がいいような気がします。
戦後の教育とかは、できるだけ皆同じ考えになるような教育を受けてきました。
大量生産・効率化を図るとそういうことになるわけです。
画一的なサラリーマンが、生産するのに効率の面とかでいいわけです。
しかし、最近は企業なんかでもダイバージェンスとかいって、できるだけ多様な考え方、
をすることの方が重要視されてきました。
そうしないと、創造的な仕事ができないからです。
そういう意味では、違った意見を持った人に対して怒らない、許容するというか、違った意見、反対の意見でも謙虚に聞く、という態度が重要になってくると思うんですが、
いかがでしょうか。
自分自身は皆発展途上で修行中の身なのだから、反対の意見の人の言うことも、心を坦懐にして素直に聞いてあげる、という態度が必要な気がします。
いや、案外そういうことを聞くことによって、新しい気付きとか成長することができる、
ということの方が多いような気がします。
特に、夫婦の場合は、男的な見方・女的な見方はどうしてもあり、喧嘩するのはいいとして、お互いに余りきつく怒らない、ということが大事なような気がします。
一応相手の意見を、素直に傾聴してみる、ということか・・・。
これは、童門 冬二(歴史作家)さんが言っていた、「恕」(じょ)の精神(相手を思いやる)と
いうことかもしれません。
まあ、誰でも年を取るとともに、怒りを抑えて、人がまるくなる、というようには言われているとは思いますが。
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