田中 勝博(著)「竹田 和平の強運学」206P
私の考えでは、人格を高める、ということに重点を置いています。
稲盛 和夫さんの本などを読んで、そういうことを学びました。
また、ある本には今生の人生は、愛とか忍耐とかを学ぶために生まれてきたとありました。
人は子供から大人になるために、肉体的に成長すると共に(これは自然と誰でもできる)、
精神的にも(心の成長)成長する必要があるわけです。
これは、人間関係とか団体生活とか、協調性とかマナーとか、社会生活をする上での、
成長ということができるかもしれません。
また、家庭教育とか学校教育とか実社会での学びとか、そういうことにより随分と成長するものだと思います。
また、職業上の訓練とか、夫婦間の成長とか、仕事を行う上での技術とかテクニックとか、プロ意識とか、ノウハウとか、そういうもろもろの物を含めた、総合的・統合的な成長について、抽象的にまとめて「人格を高める」、と言うことができるのかもしれません。
昔高校時代に下宿していたときの隣部屋にいた、友人 村上 英信君が、ある日突然なんの前触れもなく、「人生は闘いだ」と唸りました。
私はそのとき、頭をガーンと打たれたような感じで、すごく印象に残っています。
この資本主義の世の中で、人との競争という観点から見ると。
競争に勝つと、給料が多くもらえるとか、経済的に有利になるとか、世界中の生産物(成果物)の分け前を少しでも多くもらえるとか、そういう観点から考えると。
この人との競争に勝つためには、どうしても『自己成長して己を高めていく』ということが必須になってくると思うんです。
この『自己成長して己を高めていく』ことをしないと、どうしても競争で負けてしまうわけです。
まあ、人並みにやっていたら、人並みの給料しかもらえないとか。
人並み以下だと、自己破産とか生活保護に頼るとか。
人の10倍も100倍も努力して、『自己成長して己を高めていく』ことができれば、
例えば投資なんかで成果を上げることができるとか。
まあ、「練習はうそをつかない」というように、「努力はうそをつかない」と言えると思います。
それに、「自己成長して己を高めていくことは、うそをつかない」とも言えると思います。
因果応報というか、「練習」「努力」「自己成長して己を高めていく」ことにより、必ずや良い結果が期待できるということでしょうかね。
お後よろしいようで。
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