2017年2月21日火曜日

人は、何のために生まれてきたかといえば、それは、自己成長して己を高めていくために生まれてきたわけです。




田中 勝博(著)「竹田 和平の強運学」206P

 
「人は、何のために生まれてきたかといえば、それは、自己成長して己を高めていくために生まれてきたわけです」



  『自己成長して己を高めていく』という言葉にも、いろいろの意味があるかと思います。

 

 私の考えでは、人格を高める、ということに重点を置いています。

 

 稲盛 和夫さんの本などを読んで、そういうことを学びました。

 

また、ある本には今生の人生は、愛とか忍耐とかを学ぶために生まれてきたとありました。

 

人は子供から大人になるために、肉体的に成長すると共に(これは自然と誰でもできる)、

精神的にも(心の成長)成長する必要があるわけです。

 

 これは、人間関係とか団体生活とか、協調性とかマナーとか、社会生活をする上での、

成長ということができるかもしれません。

 

 また、家庭教育とか学校教育とか実社会での学びとか、そういうことにより随分と成長するものだと思います。

 

 また、職業上の訓練とか、夫婦間の成長とか、仕事を行う上での技術とかテクニックとか、プロ意識とか、ノウハウとか、そういうもろもろの物を含めた、総合的・統合的な成長について、抽象的にまとめて「人格を高める」、と言うことができるのかもしれません。

 

 昔高校時代に下宿していたときの隣部屋にいた、友人 村上 英信君が、ある日突然なんの前触れもなく、「人生は闘いだ」と唸りました。

 

 私はそのとき、頭をガーンと打たれたような感じで、すごく印象に残っています。

 

 この資本主義の世の中で、人との競争という観点から見ると。

 

 競争に勝つと、給料が多くもらえるとか、経済的に有利になるとか、世界中の生産物(成果物)の分け前を少しでも多くもらえるとか、そういう観点から考えると。

 

 この人との競争に勝つためには、どうしても『自己成長して己を高めていく』ということが必須になってくると思うんです。

 

 この『自己成長して己を高めていく』ことをしないと、どうしても競争で負けてしまうわけです。

 

 まあ、人並みにやっていたら、人並みの給料しかもらえないとか。

 

 人並み以下だと、自己破産とか生活保護に頼るとか。

 

 人の10倍も100倍も努力して、『自己成長して己を高めていく』ことができれば、

例えば投資なんかで成果を上げることができるとか。

 

 まあ、「練習はうそをつかない」というように、「努力はうそをつかない」と言えると思います。

 

 それに、「自己成長して己を高めていくことは、うそをつかない」とも言えると思います。

 

 因果応報というか、「練習」「努力」「自己成長して己を高めていく」ことにより、必ずや良い結果が期待できるということでしょうかね。

 

 お後よろしいようで。

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