2017年2月14日火曜日

この自分よりも他者の利を優先するという心は、人間のもつすべての徳のうちで特上、最善のものであると私は思っています。





稲盛 和夫(著)「生き方」154P

 
『この自分よりも他者の利を優先するという心は、人間のもつすべての徳のうちで特上、最善のものであると私は思っています』



 
 著者の稲盛 和夫さんは、鹿児島県出身で、座右の銘ならぬ座右の本として、

「西郷南洲翁遺訓」なんかを読んでいたらしいです。

 

 それで、西郷 隆盛の思想・考え方・見方なんかに大いに影響を受けていると思われます。

 

 利他(他者の利)を優先する、自分の利は二の次という考え方です。

 

 これは現在でも、偉い人とか、すぐれている人とか、高名な人とか、人格的に出来上がった人、とかがよく言う「世のため、人のため」に尽くすということに通ずると思うんです。

 

 確かに、人は自分がまず大事と優先して、他人はその次と考えがちです。

 

 それはそれで、一応大事ですが、まあ動物レベルの原始的なやり方であるかもしれません。

 

 人間社会は、一人きりで生きていくことはできず、社会とか・家族とか・会社とか・

そういう人間関係の中で、生きていく必要があるわけです。

 

 また、そういう社会とか組織とか、そういう中で協力し合うことによって、人類は発展してきたし、文明・文化も発展させてきたと言えるかもしれません。

 そういう利他(他者の利)を優先するということは、「愛する」ということに通ずるかもしれません。

 

 人生の目的は、「愛とか忍耐」とかを学ぶために生まれてきた、というのもありますし。

 

 また、童門 冬二さん(歴史作家)の言われている、「恕」の精神(相手を思いやる)も

そうですね。

 

 西郷 隆盛が「人生で恐ろしい人を二人見た」と言って、その一人である山岡 鉄舟について、下記のように言っています。

 

 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」

 

 これなんかも、自分の命とか金なんかも一切捨てて、利他(他者の利)を優先する、

ここでは、国の行く末のために尽くす、ということでしょうね。

 

 この山岡 鉄舟のとった行動(西郷 隆盛との談判)に対して、西郷 隆盛は強烈に

感動して、幕末の江戸城総攻撃を中止したと伝わっています。

 

 

 

 偉そうに言うわけでも、傲慢に言うわけでも、決してないんですが。

いつも謙虚な姿勢を心がけないといけないのですが。

 

 なんかこう、人は普通は自分が優先であり、利己的になりがちなのは、それはそれで

一般的であり、普通なのかもしれません。

 

 それはそれでいい面もあるのですが。

 

 しかし、ある人格のレベルの達した人とか、本なんかを読みこんでいくとそういう

「利他(他者の利)を優先する」ということを言う人が多いことに気付きます。

 

 うまく表現することはできませんが、なんかこう「気付き」、というか、こういう高尚な

考え方もあるんだというか。

 

 ある意味では、「人生の定石」の初段レベルに達した境地でも言いますか。

 

 皆が気付いて、わかって、そうしたらきっと、どれほど暮らし易い、住み良い、気持ち

の良い、世界となることでしょう、と思ったりするんですが。

 

 まあ、そういう「利他(他者の利)を優先する」という考え方の人は、例えばマナーが

いいとか、人柄がいいとか、なんか気分が良くなるとか、そういう感じがするわけです。

 

 自分を優先すると、何か下品な、野蛮な、粗野な、という感じがするわけです。

 

 まあ、「あいさつ」なんかでもしなくても一向に構わないのですが、「あいさつ」された

方が、気持ちがいいとか、気分がいいとかするような感じ。

 

 まあ、あえて言えば、気付かない人はいつまでたって理解不能というか、ちんぷんかん

ぷんというか、そういう感じかもしれないですね。

 

 少し、言い過ぎかもしれませんが、ご容赦を。

 

 まあ、一般的にはそういう人が多いのかもしれませんが。

 

 最近思うんですが、この「気付き」ということが、大きな自分のテーマになっています。

 

 時間の関係とか、紙面の関係で、ここまでで。

 

 もし、この「この自分よりも他者の利を優先するという心」をもっと追究されたいのな

ら、しかるべき人に聞くなり、しかるべき本を読みこむなりして、理解を深めてください。

 

 お後よろしいようで。

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