( 東京駅 )
最近読んだ本の中に、「心の豊かさ」という言葉が出てきました。
それで今回は、少しこの「心の豊かさ」を題材として、記したいと思います。
大それた題材で、この年になってもなお未熟者の私なんかが、とてもまともに書けるとは思いませんが、いつものように独断と偏見で。
こんなテーマは、誰が言っても正しいとか間違っている、とかいう話ではなくて、
まあ、こんな考え方の人もいるなあ、参考として、という程度で。
作家のように起承転結とか、論理だってとか、そうそう 又吉さんだっけみたいに、
芥川賞だっけ、そういうことはとてもできないので。(笑)
思いつくままに、なぐり書きして、羅列する程度で。(時間も余りかけられないので)
「豊かさ」には、「物質的な豊かさ」と「心の豊かさ」(精神的な豊かさ)の2種類があると思うんです。
まあ、車の両輪みたいなもんですかね。
どちらも「豊か」であれば、いいんでしょうけど。
終戦後の焼野原から、食糧難を経て、高度成長期を経て、20世紀後半世紀は、
ただただ「物質的な豊かさ」を追い求めてきた感があります。
1989年のバブルがはじけるまで、ひょっとしてアメリカをも追い越した、という
錯覚まで引き起こしそうなくらい、物質的に豊かになりました。
しかし、21世紀に入って、モノの欲求を満たす商品は売れにくくなっており、精神的な満足度を高める商品のニーズが高まっている、と言われています。
一般的に言われている、「モノからコトへ」ということでしょうかね。
これは、「物質的な豊かさ」から「心の豊かさ」の方を重要視する、という流れと言えるかもしれません。
ひょっとして、いつの時代も、こういう考え方というのは、あったとは思うんですが。
「物質的な豊かさ」を追求していた時代は、もうそればかりが目的化して、他のことを考える余裕がなかった、と言えるのかもしれません。
しかし、現在は飽食の時代であるとか、もうほぼ物質的な欲求が行き渡ってしまった、ということかもしれません。
ただ、貧富の格差とか、ITリテラシーの格差とか、情報格差とか、いろんな格差が大きくなってきている、という格差問題がクローズアップされるようになってきました。
特に、貧乏人はますます貧乏に、弱者はますます弱くなってきている、ということを感じます。
浜 矩子さんは、そういう人たちのためのセーフティネットの必要性・重要性をうったえていたような感じがします。
金持ちは貧乏人の気持ちがわからない、医者は患者の気持ちがわからない、上から目線で苦しんでいる人の気持ちを汲んであげることができない、自分さえよければ他人はどうでもいい、という殺伐とした、嫌な空気も感じます。
芸能人なんかで、顔とか外見はすごくいいんですが、すぐに離婚するという風潮なんかも。
私の勝手な独断と偏見で言うと、こういう人なんかも「心の豊かさ」が欠けている、と言わざるを得ないという感じ。
なんかこう、「心の豊かさ」を磨かなくても、チヤホヤされるというか、努力しなくてもいいという感覚が、皮膚感覚として刷りこまれている、みたいな。(ぶっ飛んだ極端な意見ですが)(汗)
つまり、顔とか外見はいいけれども、「心美人」でない、心ブスと言うべきかもしれません。(少し言い過ぎかも、すみません)
ついでに、もう一つ言うと。大金持ちでも、決して幸福かというと、私自身が思うに決して幸福である、と断定することはできないと思っています。
いや、余りお金お金と執着すると、他のことがおろそかになり、人生を総合的に見てみて判断すると、欠点だらけの不幸な人生だと言えるかもしれません。
まあ、いくら時間をかけても、充分に書き尽くすことはできないので。
「心の豊かさ」についての本とか話は、探せばいくらでも見つかると思いますので、
機会があったら、探して思索を深めてください。
「物質的な豊かさ」と「心の豊かさ」(精神的な豊かさ)はどちらも大事ですが、私としては、今は「物質的な豊かさ」よりも「心の豊かさ」の方を重要視したい気分です。
お後よろしいようで。
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