本田 健(著)「普通の人がこうして億万長者になった」143P
人生で起きる出来事は、すべて偶然に起こっているというよりも、すべて必然として起こっている、という見方をする人もいます。
乗り越えられない試練は、神様は与えていない、すべては乗り越えられるようになっているという人もいます。
過去の出来事でも、あのときああしておけば良かった、という風に後悔することもありますが、これも見方によっては、必然的に起こったことであり、くよくよ悩まない方がいいかもしれません。
歴史上の出来事でも、個人の人生の経過でも、「タラレバ」は考えるとキリがないので、
もう諦観というか、起こるべくして起きたことだとして、前向きに進んでいった方が良いということかも。
過去の出来事を、後悔してくよくよ悩まない、ということかも。
まあ幸運な出来事でも、不幸な出来事でも、最高のタイミングでやってきた、と思えば
心理的にもいいし、精神衛生上も心が安定する、ということを言っていると思います。
まあ、母がよく口癖のように言っていたのは、とても苦しい状態にあるときでも、
「どうせなるようにしかならないから」ということでした。
時間(の経過)が解決するということだと思います。
苦しいときの試練も、それを乗り越えたときには、その経験がすごく為になるというか、
学ぶことの方が多いと思われます。
失敗しても、その失敗から学ぶことができたら、その失敗は成功である、と昔 日経新聞で出ていたような気がします。
誰でも失敗と成功はあるかとは思いますが、その失敗から学んだかどうかで、その後の
人生で大いに差がつくというか、雲泥の差ができるかもしれません。
失敗から学ばなければ、いつまで経っても問題の解決方法に気付くことはできません。
そういう意味においては、人生で起こることは、失敗するにせよ、成功するにせよ、
人が成長するための材料、与えられ課題と解決のための、人生ゲーム、人生の山登り、
ということが言えるかもしれません。
そういう人が成長するため、人格を高めるため、という観点から考えると、
人生で起きる出来事は、すべて最高のタイミングでやってくる、という見方、信頼感、
を持つといいと言っているような気がします。
そういう見方、感じ方、心の持ちようをしていると、宗教の悟りのように、また精神安定剤のように、心の安定をもたらす、ということを言っているんですかね。
仏教の、煩悩から悟りの境地に至るみたいな。
きれいごとみたいに書いてきましたが、実際はなかなかそううまくはいかない、というのは百も承知ですが。
逆に悩んで歩いていくのが、人生の醍醐味・深い味わい、でもあるような気もしますが。
まあ、教科書的な人生では、ある意味つまんないかもしれないのですが。
苦しんで歩んできた人生に、人生の隠し味のような、それぞれの人の個性・人格・深い味わいが、必ずあると思います。
かく言う私も、いまだに未熟であり、まだまだ学ばないといけないことが多いと
思っている次第です。
上記のことは、私個人の私見なので、正しいとか間違っている、という話ではなくて、
あくまでも、個人的なある見方・ある視点・ある考え方で、参考程度とは思います。
人生論とか幸福論とかみたいなものは、なかなか一概にはいかなくて、なかなか難しいです。
私個人としては、この世に生まれてきたのは、「愛とか忍耐」を学んで、人格を向上させるため、と思っています。
また、最近では「情報革命で人々を幸せに」という標語で、世のため人のために尽くす、
という目標でやっています。
それと、人々に「気付き」をもたらす、ということも最近では、大きな目標となっています。
今回は、少し堅苦しい内容となりました。
きれいごとばかりを書いて、申し訳ありません。
かくいう私自身が、上記に書いたようなことは、実はいまだにとても出来ているとは
言えるような状態ではありません。
言うは易し、行うが難し、です。
耳障りになりましたら、すみません。ご容赦を。
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