2017年2月23日木曜日

「人生で起こることは、すべて最高のタイミングでやってくるという信頼」が心の安定をもたらします。




本田 健(著)「普通の人がこうして億万長者になった」143P

 
『「人生で起こることは、すべて最高のタイミングでやってくるという信頼」が心の安定をもたらします』



 人生で起きる出来事は、すべて偶然に起こっているというよりも、すべて必然として起こっている、という見方をする人もいます。

 

 乗り越えられない試練は、神様は与えていない、すべては乗り越えられるようになっているという人もいます。

 

 過去の出来事でも、あのときああしておけば良かった、という風に後悔することもありますが、これも見方によっては、必然的に起こったことであり、くよくよ悩まない方がいいかもしれません。

 

 歴史上の出来事でも、個人の人生の経過でも、「タラレバ」は考えるとキリがないので、

もう諦観というか、起こるべくして起きたことだとして、前向きに進んでいった方が良いということかも。

 

 過去の出来事を、後悔してくよくよ悩まない、ということかも。

 

 まあ幸運な出来事でも、不幸な出来事でも、最高のタイミングでやってきた、と思えば

心理的にもいいし、精神衛生上も心が安定する、ということを言っていると思います。

 

 まあ、母がよく口癖のように言っていたのは、とても苦しい状態にあるときでも、

「どうせなるようにしかならないから」ということでした。

 

 時間(の経過)が解決するということだと思います。

 

 苦しいときの試練も、それを乗り越えたときには、その経験がすごく為になるというか、

学ぶことの方が多いと思われます。

 

 失敗しても、その失敗から学ぶことができたら、その失敗は成功である、と昔 日経新聞で出ていたような気がします。

 

 誰でも失敗と成功はあるかとは思いますが、その失敗から学んだかどうかで、その後の

人生で大いに差がつくというか、雲泥の差ができるかもしれません。

 

 失敗から学ばなければ、いつまで経っても問題の解決方法に気付くことはできません。

 

 そういう意味においては、人生で起こることは、失敗するにせよ、成功するにせよ、

人が成長するための材料、与えられ課題と解決のための、人生ゲーム、人生の山登り、

ということが言えるかもしれません。

 

 そういう人が成長するため、人格を高めるため、という観点から考えると、

人生で起きる出来事は、すべて最高のタイミングでやってくる、という見方、信頼感、

を持つといいと言っているような気がします。

 

 そういう見方、感じ方、心の持ちようをしていると、宗教の悟りのように、また精神安定剤のように、心の安定をもたらす、ということを言っているんですかね。

 

 仏教の、煩悩から悟りの境地に至るみたいな。

 

 きれいごとみたいに書いてきましたが、実際はなかなかそううまくはいかない、というのは百も承知ですが。

 

 逆に悩んで歩いていくのが、人生の醍醐味・深い味わい、でもあるような気もしますが。

 

 まあ、教科書的な人生では、ある意味つまんないかもしれないのですが。

 

 苦しんで歩んできた人生に、人生の隠し味のような、それぞれの人の個性・人格・深い味わいが、必ずあると思います。

 

 かく言う私も、いまだに未熟であり、まだまだ学ばないといけないことが多いと

思っている次第です。

 

 上記のことは、私個人の私見なので、正しいとか間違っている、という話ではなくて、

あくまでも、個人的なある見方・ある視点・ある考え方で、参考程度とは思います。

 

 人生論とか幸福論とかみたいなものは、なかなか一概にはいかなくて、なかなか難しいです。

 

 私個人としては、この世に生まれてきたのは、「愛とか忍耐」を学んで、人格を向上させるため、と思っています。

 

 また、最近では「情報革命で人々を幸せに」という標語で、世のため人のために尽くす、

という目標でやっています。

 

 それと、人々に「気付き」をもたらす、ということも最近では、大きな目標となっています。

 

 今回は、少し堅苦しい内容となりました。

 

 きれいごとばかりを書いて、申し訳ありません。

 

 かくいう私自身が、上記に書いたようなことは、実はいまだにとても出来ているとは

言えるような状態ではありません。

 

 言うは易し、行うが難し、です。

 

 耳障りになりましたら、すみません。ご容赦を。

 
  お後よろしいようで。


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