井上 暉堂(著)「ホトケの経済学」133P
なる』
独断と偏見を恐れずに言うと、「勉強」という言葉は学校教育なんかの何か受身的で、強制的で義務的に思われます。
特に学校教育なんかは、そんな意味で「勉強」というと嫌なイメージを持っている人が多いと思われます。
自主的で能動的な、楽しく「学ぶ」という方がいいかと思われますし、上記の「名言」の「勉強」も自主的で能動的な、楽しく「学ぶ」というのに近いと思われます。
そういう意味でも、学校生活を卒業してから、実社会に出てからの、継続して自主的で能動的な、楽しく「学ぶ」姿勢は非常に重要で、その後の人格形成とか、人間の幅の向上とか、柔軟性とか、「引き出し」の多さとか、選択肢の多さとか、困難にあたっての対処の仕方がうまくできるようになると思うんです。
そうすることによって、「学ぶ」ことによって、「世の中を知れば知るほど人生も楽しくなる」わけです。
つまり、人生の闘いにおいて、「世の中を知れば知るほど」有利に闘えるし、これがうまく回ることによって、「人生も楽しくなる」んじゃないかと思うんです。
これは、「井の中の蛙」よりも「大海」を知っている方が有利なのに繋がります。
もともと、人は皆「知識欲」とか「好奇心」を持っています。
また、「知れば知るほど、知らないことが多いことを知る」とも言われています。
「世の中を知れば知るほど人生も楽しくなる」と同じように、年を取れば取るほど、世の中のことを知ることが増えて、人生の深い味わいを知ることも増して、「人生を深く味わうことができて、人生も楽しくなる」と思います。
いわゆる、食事における「料理を味わう舌が肥える」、人間関係などにおける「人を視る目が肥える」ことに通じることがあるとも思えます。
若いときに悩んでいたことが、大人になって(さらに年を取って)、ひょいひょいと解決できるようになり、なんであんなことに悩んでいたんだろうと思えるのも、進歩して成長したからであり、「世の中を知れば知るほど人生も楽しくなる」に通じると思います。
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