2017年2月10日金曜日

情報の量がいずれ必ず質に転化する。





梅田 望夫/平野 啓一郎(著)「ウエブ人間論」171P

 
      『情報の量がいずれ必ず質に転化する』

 ( 将棋の羽生 善治の仮説 )




 将棋の羽生 善治さんは、やはり将棋界の誰よりも将棋の練習というか対局をこなしていると思うんです。

 

 私は、パソコン将棋なんかで、随分と量をこなしていたんじゃないかと勝手に推測しているんですけれども。

 

 その羽生 善治さんが、随分と誰よりも多くこなしていた量が、質というか強さにつながったということだと思うんです。

 

 これは、スポーツ界でも誰よりも練習した人、訓練した人が、技術など(質)が上達して、結果良い成績をおさめることができるのと似ています。

 

 大相撲の横綱 白鵬 の史上最多の33回の優勝も、極上のあっぱれですが、「心技体」とか言われていますよね。

 

 「心」「技」「体」3拍子そろって、質が向上していなければ、とうていでき得なかったことでしょう。

 

 この「情報の量」というのは、努力の量、精進の量、練習の量、訓練の量、とかと同じことを言っていると思うんです。

 

 結局、人は生まれてきたときは皆同じ平等な「玉」であり、それを上記の量をこなすことによって、いかに磨いていくかによって、質の向上、つまりは人格の向上とか、技術の向上とか、人間ができてきたとか、プロとしてのスペシャリストとか、そういうことにつながるのだと思います。

 

 私ごとで恐縮ですが、時間があれば読書に振り向けていることが多いのですが、これがまた「量」が多すぎるというか、遅々として進まないというか、もうあふれてしまっています。

 

 まあ、「知れば知るほど 知らないことが多いことを知る」という名言もありますが。

 

 作家としてのペンネームに、「福田 蝸牛(かたつむり)」にしようかと、半ちゃんに冗談で言ったほどでした。

 

 ここで独断と偏見で言わせていただければ、あまたの沢山の本を読めば読むほど、だいたい書いている人の言いたいことは、だいたい皆同じようなところに収束していくみたいです。

 

 つまり、人生で言えば、人格の向上を目指すとか、努力するとか、精進するとか、人間関係を良くするとか、そういうところに行きつくのだと思います。

 

 ここで、私が声を大にして言いたいのは、「人生の定石」を学ぶこと、マスターすることが非常に大事である、ということが出てくるわけです。

 

 ちょっと、こじつけ気味かもしれませんが・・・。

 
  お後よろしいようで。

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