近藤 淳也(著)『「へんな会社」のつくり方』2P
「パソコン」時代で、大衆化への幕が開け、「インターネット」時代で、それこそ全人類の必須のものへと、発展してきました。
農業・医療を含む、あらゆる分野、個人から組織はたまた国家のレベルまで、すべての分野で、IT化(情報化)・ITの利活用の重要性が叫ばれて、これはもう常識となってきました。
その中で、「インターネット」はあらゆる機器、パソコン・スマホ・タブレットから、今後、ウェラブル端末しいてはIoT(Internet Of Things:あらゆる物がインターネットで繫がる)まで繋がるようになってきました。
「インターネット」はあらゆる情報・知識・知恵とそれに伴うサービスが詰まっており、その「インターネット」を利活用することにより、そういう意味で、名言である「インターネットは知恵の増殖装置」と言っているのだと思います。
まあ、人間の肉体的・内部的な「脳」(内部脳)に対して、「インターネット」は「外部脳」と言えるかもしれません。
今までの、入試なんかの学力テスト、入社試験なんかでは、人間の肉体的・内部的な「脳」(内部脳)の良し悪し・出来不出来が選択基準でしたが、この「外部脳」も使えるということで、随分違ったものになってくると思うんです。
最近の教育改革なんかでも、この「外部脳」を考慮すべきで、単なる暗記一辺倒ではなく、考える力とか・創造性とか・総合的にとらえる力とか・異分野にまたがる関係性の把握とか、そういう方面が大事になってくると思うんです。
今の、文科系とか理科系とか、専門的で狭い範囲の職業意識とか、そういうのではなくて、文科系の人もある程度は理科系の素養を身に付け、理科系の人もある程度は文科系の素養を身に付ける、というか総合的に物事をとらえる、ということが大事になってくると
思うんです。
部分最適ではなくて、全体最適でないといけないのと、ある意味相通ずるものがあると思うんです。
最近、医療・健康関係の本を読んでいて、ある著者の医者側からも「患者はもっと学習して、賢くなるべきである」といった内容の記述が多くなってきました。
そうすると、医者側からも、患者側からも、もっとスムースに効率良く、双方が納得した、レベルの高い医療行為が受けられる、ということが書いてありました。
これは、患者の学習において、従来は本くらいしか読めなかったし、まあほとんど読まなかったものが、「インターネット」などで、簡単にクリックひとつで学習することができるようになったし、患者も賢くなってきたし、最近ではますますこういう傾向が強くなってきたと思われます。
私なんかは、人間の医者だけでなく、IBM社が開発した「ワトソン」という人工知能を活用したシステムなんかで、将来的には医療の患者の診断のかなりの部分が可能になるんじゃないかと勝手に想像したりしていますが。
これは、何も医療の分野だけでなく、政治の分野でも、もっと国民が学習して賢くなって、という期待もあります。
何をえらそうなことを言ってと、非難されるといけないので、ここまでで。
農業の分野でも、TPPとか、農業の競争力の強化とか、農業のIT化とか、
が叫ばれるようになってきました。
これも、トップダウンで言うには簡単ですが、やはりボトムアップで農業に携わる人個々人が、積極的に学んで賢くなる必要があると思うんです。
ここでも、ITの利活用は大きな要素・要因になってくると思われます。
昔、戦国時代に織田 信長があれほど活躍できたのも、当時の最先端の兵器「鉄砲」を活用したからだと喝破した人もいます。
そういう意味では、現代の最先端の兵器は、ITの利活用、とりわけ「インターネット」の利活用ではないでしょうか。
ここで、2000年代初めくらいでしたか、富士通の社長に就任した、秋草 直之社長(秋草電電公社総裁の息子)が、就任演説で開口一番「Everything on the Internet」と言っていたのを思い出しました。
最近、サイバー攻撃とか、サイバーテロとかが、新聞などで報道されています。
これからは、核戦争の脅威よりも、サイバー戦争の脅威の方が格断に大きくなってくると思われます。
核戦争の脅威は、ある程度部分的・地域的ですが、サイバー戦争はそれはもう一瞬のうちに、国全体を破壊的に襲います。
サイバー戦争を、一国の一握りの権力者に委ねる(ゆだねる)ことの、事の重大さには
身震いするほどの恐怖を覚えます。
ここでも、国民一人一人の学び、賢くなるということが、徹底的に問われる時代となり、
国の統率者(リーダー)たちの選択(選挙)への、国民一人一人の重大かつ重要な責任が問われるわけです。
時代の流れを学んで、過ちのない、悔いのない正しい道を歩むよう、国民一人一人の懸命の努力、不断の学び、賢くなる、国民のレベルアップひいては国力の増大、国民の幸福の追求、というということを期待したいものです。
ついでに言うと、このまま時代が進むと、2030年くらいだったかには、全人類の知能よりも、スマホ・タブレットとか人工知能を含むコンユータ・システムなんかの知能の
方が上回ってしまうという予測がされています。
そういう全IT・情報システムの知能にも、人間が作ったプログラムが走るという、人間社会が写し絵のように反映されるわけです。
それ故、そういう全IT・情報システムの知能を開発する人々には、人間社会を良くしようと思っている人、人格的に良い人、世のため・人のためを思って開発する人、なんかに開発を委ねられたらなあ、と思っている次第です。
単に、金儲けのためとか、コンピュータの発展のためだけとか、コンピュータとかIT専門だけとか、そういう部分的最適よりも、
科学のみとか、経済のみとか、政治のみとか、医療のみとか、農業のみとか、そういう部分的最適よりも、
理科系、文科系、双方が理解できる人とか、総合的に組み合わせて判断できる人とか、
そういう全体最適に発想できる人に開発を委ねられたらなあ、と思っている次第です。
というのも、最近ホーキング博士なんかが、コンピュータの人工知能の発展により、人類の危機を危惧するようになってきているからです。
核戦争で人類の危機が叫ばれ、サイバー戦争や人工知能なんかでも、さらに人類の危機が絶大に大きくなることが叫ばれているわけです。
どうしても、「人類のために」ということが、大前提になる必要があるわけです。
余り難しく考えると、面白くありませんので、ここまでで。
まあ、いついかなる時代でも、その時代・そのときの悩み・苦悩と希望はつきものとは思いますが。
お後よろしいようで。
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