2017年2月13日月曜日

積善の家に余慶あり





稲盛 和夫(著)「生き方」138P
 

            「積善の家に余慶あり」



 稲盛 和夫(著)「生き方」という本は、2007年に読んでいますが、最近でも時々

新聞の広告欄に出ていて、累計発行部数が確か120万部くらいだったと記憶しています。

 

 そういう意味では、ベストセラーの部類に入るんでしょう。

 

 著者の稲盛 和夫さんは、京セラ(京都セラミック)の創業者であり、後に第二電電から続くKDDI(auスマホ)とか、最近ではJALの再建に携わってこられた方です。

 

 著者の稲盛 和夫さんは鹿児島県出身で、「西郷南洲翁遺訓」を座右の銘としていたように記憶しています。

 

 私の最近の人生観も、この稲盛 和夫さんに大きく影響を受けています。

 

 ほとんどそっくりと言われても、過言ではありません。

 

 前置きはさておき。

 

 

 

 普段からコツコツと「善」きことを積み重ねていけば、因果応報で後々に「慶」(喜ばしいこととか、楽しいこととかの、幸福な出来事)がやってくるということでしょうね。

 

 「地球は一家、一日一善」と、笹川 良一も言っていたことだし。

 

 これは、誰もが見ているところで「善」きことを積み重ねることもさることながら、

人知れず誰も見ていないところで「善」きことを積み重ねることの方が、もっと効果があるというか、意味があるような気がします。

 

 回りは見ていないような場合でも、見る人は見ているというか、必ず評価されるというか。

 

 超一流のプロ選手は、人の見ていないところで猛練習をしており、それで本番で実力を発揮できるというべきか。

 

 まあ、私なんかは「神様は見ている」ということを信じているわけですが。

 

 「積善」するということは、「善」いことをしたという心理的な面も大きいと思うんです。

 

 「善」いことをしたという心の貯金が大きくなれば、心が豊かになり、心の安定・安心・平常心に繋がるんじゃないですかね。(心がウキウキする感じ!)

 

 精神(心)の健康にも大いに役立つと思うんですが、いかがでしょうか。

 

 また、この「積善」は自分自身に対して施すのは当たり前として、むしろ他人に対して施す方が、よっぽどいいような気がします。

 

 つまり、利他(他人のため)、とどのつまりは「世のため人のため」ということになるんだと思うんです。

 

 また、稲盛 和夫さんは、人生の目的は、人格を高めることと言っています。

 

 また、あるアメリカの著者の本には、今生の人生は、愛とか忍耐とかを学ぶために生まれてきたとありました。
 

 
 お後よろしいようで。

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