2017年2月4日土曜日

努力は天才に勝る。




井上 暉堂(著)「ホトケの経済学」146P
 
 
             『努力は天才に勝る』
 
 
 
 かのエジソンは、1%のインスピレーションと99%の努力とか言ったように思うんです。
 
 それほどまでに、「努力」の方が大事だと言いたかったのに違いありません。
 
 まさに、「努力は天才に勝る」ということを言いたかったのだと思います。
 
 しかもエジソンは学校教育を受けていなかったらしいです。
 
 全部母親から教育を受けたらしいです。
 
 そのエジソンが起業した、米国GE社(General Electric)は、米国で唯一生き残っている会社であり、その他の同時期くらいに起業した会社は皆死に絶えました。
 
 今、インダストリアル・インターネットとか言って騒いでいるみたいです。
 
M2M(Machine to Machine)とか、IoT(Internet   of Things)とか言われている分野です。
 
あらゆるものがインターネットに繋がるという概念です。
 
 
 
また、プロ野球選手のイチロー選手なんかも、人の見ていないところで、それこそプロ野球選手の誰にも負けないくい努力して、練習しているでしょう。
 
いくら才能があっても、努力なしには結果が出ないし、才能を花開かせることもできないと思います。
 
将棋の羽生 善治さんなんかでも、「量をこなすことによって、質に変化する」(?)とか言っていますので、やはり将棋界の誰よりも将棋の練習というか対局をこなしていると思うんです。
 
私は、パソコン将棋なんかで、随分と量をこなしていたんじゃないかと勝手に推測しているんですけれども。
 
昔、私が中学生か高校生くらいの時だったと思うんですが、中国でどえらい天才少年が現れたという大ニュースが大々的にありました。
 
しかし、その後さっぱり消息がわからなくなったままで、尻切れトンボで行方不明です。
 
多分、努力することができなかったと、これまた勝手に推測している次第です。
 
これなんか、「天才は努力しなかったから負けた」といえるんじゃないんですかね。
 
まあ、一つの仮説ですけど、生まれながらの天才というのはいなくて、それこそ強烈に想像を絶する努力をした人が天才になるんじゃないんですかね。
 
そういう意味で言うと、「努力は天才に勝る」というのは、なんだかそういう見方・言い方もできるんだなと思ったりします。
 
ある投資家は、「修行、修行、一生修行、そうしないと相場は勝ちきれない」(?)と言っていますが、人生も同じで、「修行、修行、一生修行、そうしないと人生は勝ちきれない」と思います。
 
この「修行」という言葉を、そっくり「努力」に置き換えても、いいんじゃないかと思ったりしますが、いかがでしょうか。
 
もう一つ、J1サッカー 川崎フロンターレの中心選手 中村 憲剛(ケンゴ)さんは、
自身の本で「練習はうそをつかない」と言っています。
 
これも、練習でできないことは本番でもできなくて、練習でできることは本番でもできる、ということだと思うんです。
 
これも、「努力はうそをつかない」に置き換えても、いいんじゃないかと思ったりしますが、いかがでしょうか。
 
こんな少し決めつけがちな、不遜傲岸なことを言う自分は、「言うは易し、行うは難し」で、なかなか未熟で成長過程であるのは自分でも重々承知の上ですが。
 
最近でも、なかなかスケジュール通りいかなかったり、会話をどの程度まで聴いてあげたら、相手のストレスが発散できて、ことらも相手を思いやることができるかに四苦八苦しています。
 
大学時代の学生寮(あかつき寮)の一年先輩の寮長だった高杉さんは、いつも学生運動なんかの議論で「決めつけはいかん」とよく言っていたのを今思い出しました。
 
また、母は遺言のように、「結局は努力したもんが勝つ」と言っていました。
 
 しかし、この言葉は昭和時代の人にはしっくりくるかもしれませんが、最近の若者は「努力」という言葉は嫌いだという人がいるというのを、読んだか聞いたりしたことがあります。
 
 私見ですが、「努力」という言葉からは、苦労して「努力する」という、苦労することを嫌う傾向があるかもしれません。
 
 しかし、「苦労を楽しむ」という境地に達したら、人生を楽しむことができると思ったりもしますが。
 
 まあ、「勉強」という言葉が、学校教育なんかの、受身的で義務的なニュアンスがありますが、これを楽しく学習するという「学楽」という言葉はいいですね。
 
 ある賢い人が、「音楽」のように、「数学」を「数楽」にすればいいとか言っていたのを今思い出しました。
 
 またまた、思い出しました。
 
 高校のテストの「世界史」の暗記で、当時「ながら族」というのが流行っていて、自分もElvis Presleyのギンギンのロックを聴きながら、高石 ともや(?)の「受験生ブルース」のように、無味乾燥な嫌な「世界史」の暗記をしたものでした。
 
 この音楽を聴くことによる気分の良さと、嫌なイメージの暗記が、丁度中和して、
ほっこりとうまくやっていました。
 
 同じように、楽しく「努力」するという、いい言葉はないでしょうかねえ。
 
「叱って育てる」よりも、「ほめて育てる」というか、いい意味の楽しい「努力」、気持ち良く「努力」できる、うーん、今時間切れで良いアイデアが浮かびません。
 
 これからの宿題にとっておきます。
 
 
 
 
 
 
   

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