2017年2月17日金曜日

自分が変われば運命も変えられる。そう思えば、とことん努力してみるのもいいのではないでしょうか。

           ( いつもよく通る東急東横線新丸子駅前 )


松井 秀喜(著)「不動心」103P

 『自分が変われば運命も変えられる。そう思えば、とことん努力してみるの
もいいのではないでしょうか』


 危うく忘れかけていました。ブログ作成が遅くなりました。

 2,3日前から「歯」が疼いて、昨夜寝るときに痛くて今日歯医者へ行こうかどうか思案していたら、そちらに気を取られて、うっかり忘れるところでした。

 あさって2/19(日)に、「友遠方より来たるあり、また楽しからずや」であり、高知から吉良川小学校の同級生が上京して、会食するにあたり歯をいじくって変になるのもどうかなと迷っています。

 今現在は痛くはありませんが。

 少し痛くなっても、すぐには治まる程度ではありますが。

 さて、本題です。


 

 「自分が変われば運命も変えられる」というのは、以前ブログで、野村 克也監督の本でも紹介したような記憶がありますが。

 

 有名になった、コピペ(コピー&ペースト(貼り付け))で、コピーしときます。

 

野村 克也(著)「野村ノート」13P

              心が変われば態度が変わる。

態度が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

運命が変われば人生が変わる。

 

 いい運命の方向に持っていこうとすれば、自分が変わることが必要になってきます。

 

 これは何も、自分が悪い方向に変わるのではなくて、また現状に甘んじて、現状維持に固執するというものではないと思うんです。

 

 いい方向に変わるというか、レベルアップを図るというか、一段上を目指すというか、そうするために努力することで、いい結果が得られる、幸せ感を感じる、満足感を得る、

ということに繋がると思うんです。

 

 ダーウィンの進化論でも、強いものが生き残るのではなく、自分が変化して環境に適応したものが生き残る、と言っていたような気がします。

 

 ただ、前にも書いたかもしれませんが、自分を変えようとしないのは楽です。

惰性で生きていくのは楽です。

 

 しかし、この人間の本源的な「楽をしたい」というのが曲者で、この考え方から抜け出せないと、いつまで経っても成長とか進歩はあり得ません。

 

 なんかこれは、前にも書いたことがあるなあ、と思って前のブログを見ていると、ありましたね。

 

 それで、時間短縮と、いろいろ他の仕事?・趣味などにも時間を割きたいため、

またまたコピペ(コピー&ペースト(貼り付け))で、コピーしときます。

 

―――――――――――ここからーーーーーーーーーーーーー

 

 今回の名言「努力できることが才能である」については、過去のブログで似たようなのがありますので、参考までに掲示します。



 独断と偏見で勝手に想像して言いますと、人には「努力するのが嫌いな人」と「努力するのが好きな人」とがいるような気がします。

 

 人間の本源的な性質として、「楽をしたい」というのは確かにあり、それは理解できます。

 

 しかし、普通は「努力する」ことは、逆の「楽はしたいけど、できない」、苦労する、苦痛を伴う、ということを伴うわけだと思うんです。

 

 この矛盾というか、壁というかを乗り越えるためには、やはり「教育」とか「経験」とか「学び」とかで、「楽する」ことよりも、「努力する」ことによって得られることの方が大きい、ということを理解するというか、教えてもらうとか、気付くというか、経験なんかで学ぶというか、そういうことが必要だと思うんです。

 

 因果応報というか、「努力したものが勝つ」とか、昔からそういうことは往々にして言われてきているわけであり、それを各個人がどう肌身で感じて実行するか、経験なんかで学んでいくか、というところにかかっていると思うんです。

 

 努力したが無駄だった、ということもありますが、多分努力して良かった、得られるものが多かった、というケース・場合の方が、確率的には半分以上は確実に、いや8、9割以上は当てはまると思うんですが、いかがでしょうか。

 

 そういう意味で、努力できることは、才能であると言っているんでしょうね。

 

 各個人にはいろんな個別の才能を持っていると思われますが、この「努力できる才能」は万人共通に備わっている「才能」であり、使わない・磨かないという手はないと思います。

 

 「努力しない」ことは宝の持ち腐れだと思うんですが、いかがでしょうか。

 

 「努力する」ことを、「楽しく努力する」という発想に転換すれば、いいんじゃないでしょうか。

 

 仕事でも「楽しく仕事をする」とか、家庭生活でも「楽しく家族と接する」とか、

家事でも「家事を楽しむ」とか、「楽しく子育てをする」とか、「楽しく勉強する」とか、

そういう風に考える、発想の転換をするのがいいんじゃないかと思ったりしています。

 

 まあ、言うは易く、行うは難し、というのは重々承知していますが・・・。

 

 まあ、「苦労を楽しむ」という境地に達するというか、「努力を楽しむ」という境地に達するというか、そうなれば、人生の定石の初段レベルに達したと言えることができるかもしれません。

 

 また、「人格を高める努力をする」ということも大事かと思います。

 

――――――――――――――ここまでーーーーーーーーーーーーー

 

最後に、これは経済とか投資の本を読んでいて、かなりの人が唱えているのですが。

 

それは、「何もしないことが、一番リスクが高い」ということです。

 

これも、ある意味では、何もしなくて「楽をする」ということが、一番リスクが高い、危険である、ということでしょうね。

 

つまり、何もしなくて「楽をする」よりも、努力する・学ぶ・精進する・修行する、ということの方が、結果的に安全である、安心である、益がある、価値がある、幸せに繋がる、ということだと思うのですが、いかがでしょうか。

 

コピペ(コピー&ペースト(貼り付け))で、コピーしたため、かなりくどくどとなりました。ご容赦を。

 

 

 お後よろしいようで。

 






 

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