2017年3月31日金曜日

朝起きて見れば嬉しや今日もまた此の世の中の人とおもへば




持田 鋼一郎(著)「高島易断を創った男」78P

 
 『朝起きて見れば嬉しや今日もまた此の世の中の人とおもへば』

 




2017年3月30日木曜日

インターネットは知恵の増殖装置




近藤 淳也(著)『「へんな会社」のつくり方』2P

 
  『インターネットは知恵の増殖装置』

 

2017年3月29日水曜日

立派に費やされた一生は長い。




斎藤 孝(著)「レオナルド・ダ・ヴィンチ」94P

 
 
『立派に費やされた一生は長い』

 


 
 
 

 

2017年3月28日火曜日

ネットも生活の延長で、人とのコミュニケーションをより豊かにしてくれるものだ。





Nikkei Net 趙 章恩(チョウ・チャンウン)より


『ネットも生活の延長で、人とのコミュニ
  ケーションをより豊かにしてくれるも
  のだということを忘れてはならない』

 

2017年3月27日月曜日

「ないものねだり」でなく、「あるもの満足」の姿勢が大切なのである。

          ( JR南武線武蔵中原駅 とんかつ店「和幸」 )




斎藤 茂太(著)「心をリセットしたいとき
          に読む本」32P

 
『「ないものねだり」でなく、「あるもの
  満足」の姿勢が大切なのである』
 
 
 
 

 

 

2017年3月26日日曜日

満足している者が、いちばんの金持ちだ。

                ( 京浜伏見稲荷神社 )





斎藤 茂太(著)「心をリセットしたいときに読む本」30P 

 

フランスの格言

 
『満足している者が、いちばんの金持ちだ』






 

2017年3月25日土曜日

お金は追いかけるな。お金がついてくるようにしろ。





井上 暉堂(著)「ホトケの経済学」134P

 

『お金は追いかけるな。お金がついてくる

ようにしろ』

 


2017年3月24日金曜日

覚悟を決めて“死ぬ気で”勉強し、世の中を知れば知るほど人生も楽しくなる。




井上 暉堂(著)「ホトケの経済学」133P

 
 『覚悟を決めて“死ぬ気で”勉強し、世の中

を知れば知るほど人生も楽しくなる』
 
 
 
 
 

 

2017年3月23日木曜日

怒っては相場は負けなのです。





日経新聞夕刊「目からウロコの投資塾」(鍋島 高明)

 
    『怒っては相場は負けなのです』





2017年3月22日水曜日

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

 
( 東急東横線武蔵小杉駅前 )




千代田書店のしおり「松下幸之助」より

 

『学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。

そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。これらのすべてに学びたい』
 
 
 
 
 

 

2017年3月21日火曜日

地球を動かさんと欲する者は、まず自ら動くべし。





浅井 隆+戦略経済研究所21(著)「羊たちはもう沈黙しない!」171P

 
   ギリシャ哲学者の銘言

『地球を動かさんと欲する者は、まず自ら動くべし』

 




 

2017年3月20日月曜日

金を残して死ぬのは下なり。企業を残して死ぬのは中なり。人材を残して死ぬのは上なり。




浅井 隆+戦略経済研究所21(著)「羊たちはもう沈黙しない!」85P

 
  後藤 新平が残した言葉
 
『金を残して死ぬのは下なり。企業を残して
 死ぬのは中なり。人材を残して死ぬのは上
 なり』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

2017年3月19日日曜日

高度情報化社会では、知識を持つ者が持たざる者から搾取することになる。




浅井 隆+戦略経済研究所21(著)「未来革命」170P
 
『高度情報化社会では、知識を持つ者が持たざる者から搾取することになる』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017年3月18日土曜日

健康は第一の富である。

               ( 東急東横線日吉駅前 )




今泉 正顕(著)「名言大語録」371P
 


『健康は第一の富である』

(R・W・エマソン)
 
 
 

 

2017年3月17日金曜日

一番忙しい人間が、一番たくさんの時間を持つ。




今泉 正顕(著)「名言大語録」341P

 
『一番忙しい人間が、一番たくさんの時間を持つ』

 (アレクサンドル・ビネー)
 
 
 

 

2017年3月16日木曜日

世の中の人は何とも言わば言え。わが成すことは我のみぞ知る。

            ( 東京・田園調布「はま寿司」店前 )




今泉 正顕(著)「名言大語録」327P

 
『世の中の人は何とも言わば言え。わが成す

 ことは我のみぞ知る』

(坂本龍馬)
 
 
 
 


2017年3月15日水曜日

一日生きることは、一歩進むことでありたい。




今泉 正顕(著)「名言大語録」237P

 
『一日生きることは、一歩進むことでありたい』

(湯川秀樹)

 
 
 

2017年3月14日火曜日

『歴史は未来を発見するためにある』『賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ』

              ( 東急東横線新丸子駅前 )





小和田 哲男 講演会「何故歴史を学ぶのか~
            過去と現在のつなが
                       り~」

 
『歴史は未来を発見するためにある』

 
『賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ』





 

2017年3月13日月曜日

福運は勉強より来る。

             ( 慶応大学日吉校舎入口 )




新田 純子(著)「浅野総一郎伝」39P

 

『福運は勉強より来る』
 
 
 
 

 

2017年3月12日日曜日

損せぬ人に儲けなし




斎藤 茂太(著)「続いい言葉はいい人生をつくる」207P
 

               『損せぬ人に儲けなし』
 
 
 

2017年3月11日土曜日

近江商人は「人よし、われよし、世間よし」の「三方よし」を最上とする。




斎藤 茂太(著)「続いい言葉はいい人生をつくる」198P

 

『近江商人は「人よし、われよし、世間よし」の「三方よし」
   を最上とする。』
 
 
 

2017年3月10日金曜日

相場する人に謙虚が消えた時こそ、地獄行き切符を持ったようなものである。





鏑木 繁(著)「相場開眼」127P
 

 『相場する人に謙虚が消えた時こそ、地獄
  行き切符を持ったようなものである。』
 
 
 

2017年3月9日木曜日

修業、修業、死ぬまで修業。七転び八起。相場は人間修業以外にない。人並みのことをしていて人以上に儲けるなんてとんでもない事だ。

               ( 東急東横線元住吉駅 )




鏑木 繁(著)「相場開眼」125P

 
『修業、修業、死ぬまで修業。七転び八起。

 相場は人間修業以外にない。

 人並みのことをしていて人以上に儲ける

 なんてとんでもない事だ。』




2017年3月8日水曜日

温顔無敵




鏑木 繁(著)「相場開眼」22P
 

      『温顔無敵』
 
 
 

2017年3月7日火曜日

恐怖は逃げれば二倍になるが、立ち向かえば半分になる。

                   ( ご近所さん )




川北 義則(著)「人生愉しみの見つけ方」 23P

 

「恐怖は逃げれば二倍になるが、立ち向かえば半分になる。」
 
 
 
 

2017年3月6日月曜日

自分の身に降りかかる問題は常に自分で解決できる範囲内である。

 
( ご近所の京浜伏見稲荷神社 )



川北 義則(著)「人生愉しみの見つけ方」53P 

 

「自分の身に降りかかる問題は常に自分で解決できる範囲内である。」
 
 
 
 

2017年3月5日日曜日

着眼大局、着手小局

             
 
( 東京・品川駅 )



Nikkei BPより
 

    「着眼大局、着手小局」
 
 
実は、今までの文章(説明)は時間短縮のため、以前の他のブログで採用していた
「名言」の説明を、コピー&ペースト(貼り付け)していました。

以前の他のブログで採用していた「名言」の説明を、紹介し尽くしてしまいましたので、これからは当初計画していた通りの、本来の「名言」のみの紹介となります。

でき得れば、俳句の鑑賞のように、各自で想像・創造を膨らましてください。

写真添付も数回後に、省略いたします。

なにせ、時間がとても足りない状況となっていまして、ご理解・ご協力をお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

2017年3月4日土曜日

親のDNAは遺伝するか

             ( 東急東横線自由が丘駅前ロータリー )



「親のDNAは遺伝するか」



 今回のブログは、「親のDNAは遺伝するか」です。

 

 ここで私が言う「DNA」は、ハードウェア的な生物学的な「遺伝子」そのものではなくて、ソフトウェア的な後天的な「親の生活態度」とか「親の価値観」とか「親の人生観」とかいう類のことです。

 

 これは私の勝手な独断と偏見によるもので、決して科学的に正しいとか間違っているとか、ということではなくて、私なりの見方・私見・発想みたいなものではありますが。

 

 例えば、人の性格なんかの形成においては、先天的なものとか素質とかによるものと、

後天的な環境とか経験とか友人とか読書なんかによるもの、とがあるみたいなもんですかね。

 

 それで言いたいのは、その人の成長過程で大きく影響を及ぼしていると思われるのが、

この「親のDNA(生物学的な遺伝子)」と「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、

親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」があり、この後者の遺伝子の方も大いに影響を受ける(遺伝する)ということです。

 

 極端な例では、お金持ちの子供は、将来お金持ちになる確率が高く(遺伝する)、

貧乏人の子供はいつまでたっても貧乏から抜け出せない(遺伝する)、みたいなところがあるように思います。

 

 余り長くならないように、例えば(いい悪いは別にして、いいとか悪いとかいうことではなく、得手勝手な想像で言うと)、わかりやすい例では、お医者さんとか農業なんかの

職業ではどうしてもその職業の範囲内でしか世の中のことを見ようとしない、世の中のことがよく見えていない、世の中の出来事をよく把握することができていない、という傾向があるように思われます。

 

 一般的な抽象的な表現では、「井の中の蛙が大海を知らない」、広い視野で世の中を把握することができない、みたいなところがあるのかもしれません。

 

 これは決してそういう職業がよくないというのでは決してなくて、どうしてもそういう傾向にならざるを得ない、極端に言えば一種の職業病みたいなところがあるとは思われますが。

 

 こういう負の面というか、世の中のとらえ方が狭い、とかいう問題に対処するためには、

どうしてもそういう世の中の動きを捉える方法とか知恵・知識を学んで、貪欲に取り入れてていく必要があると思われます。

 

 まあ、お医者さんとか農業なんかの職業でも、とても立派な職業であり、それはそれで結構なんですが。

 

 まあ、子供が別の職業とか一般的な会社員とかになる場合には、お医者さんとか農業なんかの職業での「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」は余り受け継がれなく、また余り成長において意味をなさない、ということになるかもしれません。

 

 何を言いたいのか支離滅裂的になってきましたが、要するに「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということです。

 

 それで、以前 稲盛 和夫 さんなんかの説でも、「家庭教育」が大事だと言っていますが、「学校教育」のみならず、「家庭教育」の重要性を言いたいわけです。

 

 「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということがこの「家庭教育」に通じる大きなファクターだと思ったりします。

 

 思えば、この子供の学習意欲とか、成長意欲とか、修行精神なんかは、この「家庭教育」

つまり「親の(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということを言いたかったわけです。

 

 それと、子供の人格の形成、人格の向上において、この「親の(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」の遺伝が、それこそ決定的に大きな影響を及ぼすと思われます。

 

 ついでに言うと、親からの有形の財産(お金とか土地なんか)よりも、親からの無形財産(学ぶ姿勢とか、教育方針とか、ここで言う親のソフトウェア的な環境的なDNA的な遺伝子)の方がよっぽど大きいと思われます。

 

 そういう意味では、「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということで親の責任というか役割は非常に重要で重大である、と思ったりしている今日この頃です。

 

 よく親が子供に「勉強しなさい」と言う光景がありますが、私は心の中で「もっと親自身が学ぶ姿勢を子供に見せないからいけないんだ」と思わずつぶやいたりすることが多いです。

 

 ちょっと冗談っぽく言うと、政治家の2世議員とかお医者さんの子供を同じ医者にするとかなんかも、ある一種の「親のDNAの遺伝」と言えるかもしれません。

 

 ついでに言うと、例えばの話ですが、私が年老いてこの頃になって思うのは、親戚つき合いというか、どうしても親戚同士の親同士のライバル意識というのがあって、親戚の子供のいいところは取り入れようとせず、どうしても親戚の子供の欠点ばかりを探してしまう、という傾向が見られるということです。

 

 親戚の子供のいいところは、是が非でも真似したくない、取り入れたくない、肯定したくない、ということが感じられます。

 

 ちょっと余談でした。

 

 以上、かなり論理に飛躍があり過ぎるかもしれませんが。ご容赦を。

 

  お後よろしいようで。