2017年1月31日火曜日

足るを知る者は富む。



 
 
鏑木 繁(著)「相場難儀道」1P
 
   『足るを知る者は富む』
 
 
 
 言葉の内容からすると、現状の物質的なもの・精神的な(心理的な)もので、足りていると悟り、そういう状態で満ち足りていると思える人は、実は富んでいるのである。
 
 人間とは、今以上にお金が欲しい、精神的にも満ち足りたいと、思いがちであります。
 
しかし、これは際限がなくて、いつまで経っても満足感が得られない。
 
 ほどほどにして、足りていると悟ることができる人が、真に富んでいる人である。
 
 これは、幸福感とも似ていて、回りから見て幸福だと思われる人が、案外と幸福感を得ていないのかもしれない。
 
 日本という平和で裕福な国に生まれたというだけで、ラッキーなのに、幸福を感じるセンサーが磨かれていないことが多い。
 
 ほどほどの現状に満足して、幸せをかみしめるという態度が大事なんじゃないでしょうか。
 
 また、仏教の教えの一つである、「欲」をいかに抑えてコントロールしていくか、鉄壁の不動心を養うということが大事です。
 
 
 また、むやみやたらと他人と比較しない。
 
他人の長所を見れば、羨ましく思い、他人の欠点をみれば軽蔑したくなりますが、他人は他人、自分は自分で、わが道を行く姿勢が大事なんじゃないでしょうか。
 
他人の貧富、他人の肩書、他人の外見の美醜、そんなものはどうでもよろしい。
 
まあ、物質を所有しているという所有欲による幸福感よりも、精神的に充足している、平和・安心・安全という環境、心おだやかに暮らしている、楽しく人生を送っている・・・
という方の幸福感の方が勝っていると私は思いますが。
 
 
今物質文明という点では、歴史上一番いい状態だと思われます。
 
戦後の食糧難の時代から比べたら雲泥の差です。
 
物は巷にありあふれ、飽食の時代だと言われています。
 
これも親の世代、高度成長時代の人々の懸命の努力によってもたらされたものであり、感謝の気持ちで一杯です。
 
また、戦後から71年間続いている平和な世の中にも、尊さとかありがたさをもっと肌身で感じる必要があります。
 
また、日本は安心・安全で住みやすいいい国であると評価する外国人が多いらしいです。
 
 そういう意味では、今の日本は平和・安心・安全で物質的に恵まれていると言えます。
ただ、そういうのを感じて幸福だと思う人は少ない?か、または幸福だと感じない人も少なからずいると思われます。
 
 
 つまり、現在の環境・境遇にもっと満足して、幸福感を味わいなさいということだと思います。
 
 傲慢になるな、もっと謙虚になれということかもしれません。
 
 政治が悪い、国の施策が悪い、世の中が悪いと愚痴を言うのではなくて、そう思う自分の方が悪いかもしれません。
 
 環境が悪いのではなくて、自分の態度とか姿勢が悪い場合が往々にしてあるのです。
 
 自助努力して、やり切ったという精神状態で、心おだやかに暮らしていけば、幸福度というか生活の満足度が上がると思います。
 
 仏教の教えである、「欲」をいかにコントロールして抑制していくかということも大事だと思われます。
 
 「欲」をかくと、もっともっとと際限がなく、いつまでたっても幸福感は得られません。
 
 「足るを知るものは富む」というように、現状で足りている、これ以上欲しがりません、という気持ち・心がけが重要です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 








































2017年1月30日月曜日

相場は人間修業ができていないと勝ちきれない。





鏑木 繁(著)「相場難儀道」111P
 

   『相場は人間修業ができていないと勝ちきれない』
 
 
 
 
 毎度、相場の「名言」で恐縮ですが、「相場」の対処の仕方と「人生」の対処の仕方は
非常に良く似ています。
 
 つまり、「相場」の対処における選択と、「人生」の対処における選択は、人間修行ができていないと、勝ちきれない、選択を誤るということです。
 
「相場」も、あらゆる森羅万象(政治・経済・自然現象を含む世の中の環境)のみならず、自分の心理状態が大きく影響します。
 
「人生」も、世の中のあらゆる出来事(自分を取り巻く環境)のみならず、自分の心理状態が大きく影響します。
 
「人生」はある意味では、選択の連続です。
 
その選択において、良い選択をするためには、人間修行ができていないといけないというわけです。
 
就活とか、婚活なんかも、究極の選択が人生の上で必要になってくるわけです。
 
そういうときに、就職する会社を評価する眼力とか、結婚相手を決定する眼力というか判断力が必要になってくるわけです。
 
人間修行することによって、どんなピンチのときにも平常心を保ち、鉄壁の不動心で判断して、選択・決定する力が養われます。
 
サッカーとか野球の試合でも、監督の冷静な選択・判断が試合を勝利に結びつけることは大きい要因です。
 
この選択・判断のときに、心理的に“怒っていたら”、往々にして、判断を誤ります。
 
母が常に言っていた、「怒ったら負け」です。
 
人間修行は、もちろん精神修養のような精神面もありますが、ほとんどの先人・本などが言っているのは、やはり知識・知恵を養うなりして、人格を高めるというところに行きつくんだと思います。
 
 
 
昔、自分が高校生時代に、土佐女子高校の校長をしていて、生徒が不祥事を起こしたとかで、土佐高校の英作文の教師になった瀬戸先生(といったと思うが記憶が定かではない。うわさなので真偽もわからないが、何も1兵卒の教師になることはないのにと子ども心に思ったものだが)に、英語の文体を丸暗記させられたものです。
 
ある日、その先生がふと人生観のような英文を発せられました(英作文の本の中だったかもしれない?)。
 
“Slow and Steady wins the race.”
 
この、「Steady」(着実に)という単語が当時すごく印象に残ってしまって、高校時代に、自分のこれからの人生はこの「Steady」(着実に)を大事にして歩んでいこうと思ったものでした。
 
また、今でもこの英語のフレーズを良く思い出します。
 
「Slow」というのは、現在のスピード時代に、合わないような気もしますが・・・。
 
いやいや、読書をしていると、膨大な積読してある本を眺めるにあたり、本当に読書するのは「Slow」なんだということを実感します。
 
作家としてのペンネームを「福田 蝸牛(かぎゅう:カタツムリ)」にしようかと、おどけて半ちゃんに言ったりしたものでした。
 
将棋の羽生 善治さんは、パソコン将棋で随分と訓練したらしいですが、彼の書いた本とか講演会で、「量が質に変わる」とよく言っています。
 
随分と沢山のパソコン将棋で対戦して、その量の多さが、彼の将棋の強さの秘訣(つまり質)を生んだということだと思うんです。
 
私は、自分で言うのもおこがましいんですが、随分と多くの本(つまり量)を読んできました。
 
自分の一生の体験とか経験では、この量が限られていると思うんです。
 
つまり、他人の人の体験とか経験、また過去の歴史上の人の体験とか経験、他人の人の考え方とか人生観とかを、できるだけ本を通して学んで追体験して量を確保して、自分の人格の向上(つまり質)を図ることが重要だと思っています。
 
 
最近、スマホを見る人が多くなってきましたが、あれはあれで現代の電子的な読書であり、他人とのコミュニケーションも活発になり、他人の体験とか経験が非常に簡単にわかるようになった現代のすばらしい文明の利器であり、情報革命で人々が幸せになった、とてもすばらしい世の中になったと思います。
 
インターネットの発達により、時間・空間を超越して、瞬時に地球の裏側まで行くことができるようになりました。
 
インターネットの発達により、スマホ、タブレット、パソコンから、全世界の情報・全世界の人との交流・全世界の人からの知恵の拝借ができる、すばらしい世の中になりました。
 
これを利活用しない手はありません。