2017年3月7日火曜日

恐怖は逃げれば二倍になるが、立ち向かえば半分になる。

                   ( ご近所さん )




川北 義則(著)「人生愉しみの見つけ方」 23P

 

「恐怖は逃げれば二倍になるが、立ち向かえば半分になる。」
 
 
 
 

2017年3月6日月曜日

自分の身に降りかかる問題は常に自分で解決できる範囲内である。

 
( ご近所の京浜伏見稲荷神社 )



川北 義則(著)「人生愉しみの見つけ方」53P 

 

「自分の身に降りかかる問題は常に自分で解決できる範囲内である。」
 
 
 
 

2017年3月5日日曜日

着眼大局、着手小局

             
 
( 東京・品川駅 )



Nikkei BPより
 

    「着眼大局、着手小局」
 
 
実は、今までの文章(説明)は時間短縮のため、以前の他のブログで採用していた
「名言」の説明を、コピー&ペースト(貼り付け)していました。

以前の他のブログで採用していた「名言」の説明を、紹介し尽くしてしまいましたので、これからは当初計画していた通りの、本来の「名言」のみの紹介となります。

でき得れば、俳句の鑑賞のように、各自で想像・創造を膨らましてください。

写真添付も数回後に、省略いたします。

なにせ、時間がとても足りない状況となっていまして、ご理解・ご協力をお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

2017年3月4日土曜日

親のDNAは遺伝するか

             ( 東急東横線自由が丘駅前ロータリー )



「親のDNAは遺伝するか」



 今回のブログは、「親のDNAは遺伝するか」です。

 

 ここで私が言う「DNA」は、ハードウェア的な生物学的な「遺伝子」そのものではなくて、ソフトウェア的な後天的な「親の生活態度」とか「親の価値観」とか「親の人生観」とかいう類のことです。

 

 これは私の勝手な独断と偏見によるもので、決して科学的に正しいとか間違っているとか、ということではなくて、私なりの見方・私見・発想みたいなものではありますが。

 

 例えば、人の性格なんかの形成においては、先天的なものとか素質とかによるものと、

後天的な環境とか経験とか友人とか読書なんかによるもの、とがあるみたいなもんですかね。

 

 それで言いたいのは、その人の成長過程で大きく影響を及ぼしていると思われるのが、

この「親のDNA(生物学的な遺伝子)」と「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、

親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」があり、この後者の遺伝子の方も大いに影響を受ける(遺伝する)ということです。

 

 極端な例では、お金持ちの子供は、将来お金持ちになる確率が高く(遺伝する)、

貧乏人の子供はいつまでたっても貧乏から抜け出せない(遺伝する)、みたいなところがあるように思います。

 

 余り長くならないように、例えば(いい悪いは別にして、いいとか悪いとかいうことではなく、得手勝手な想像で言うと)、わかりやすい例では、お医者さんとか農業なんかの

職業ではどうしてもその職業の範囲内でしか世の中のことを見ようとしない、世の中のことがよく見えていない、世の中の出来事をよく把握することができていない、という傾向があるように思われます。

 

 一般的な抽象的な表現では、「井の中の蛙が大海を知らない」、広い視野で世の中を把握することができない、みたいなところがあるのかもしれません。

 

 これは決してそういう職業がよくないというのでは決してなくて、どうしてもそういう傾向にならざるを得ない、極端に言えば一種の職業病みたいなところがあるとは思われますが。

 

 こういう負の面というか、世の中のとらえ方が狭い、とかいう問題に対処するためには、

どうしてもそういう世の中の動きを捉える方法とか知恵・知識を学んで、貪欲に取り入れてていく必要があると思われます。

 

 まあ、お医者さんとか農業なんかの職業でも、とても立派な職業であり、それはそれで結構なんですが。

 

 まあ、子供が別の職業とか一般的な会社員とかになる場合には、お医者さんとか農業なんかの職業での「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」は余り受け継がれなく、また余り成長において意味をなさない、ということになるかもしれません。

 

 何を言いたいのか支離滅裂的になってきましたが、要するに「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということです。

 

 それで、以前 稲盛 和夫 さんなんかの説でも、「家庭教育」が大事だと言っていますが、「学校教育」のみならず、「家庭教育」の重要性を言いたいわけです。

 

 「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということがこの「家庭教育」に通じる大きなファクターだと思ったりします。

 

 思えば、この子供の学習意欲とか、成長意欲とか、修行精神なんかは、この「家庭教育」

つまり「親の(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということを言いたかったわけです。

 

 それと、子供の人格の形成、人格の向上において、この「親の(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」の遺伝が、それこそ決定的に大きな影響を及ぼすと思われます。

 

 ついでに言うと、親からの有形の財産(お金とか土地なんか)よりも、親からの無形財産(学ぶ姿勢とか、教育方針とか、ここで言う親のソフトウェア的な環境的なDNA的な遺伝子)の方がよっぽど大きいと思われます。

 

 そういう意味では、「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということで親の責任というか役割は非常に重要で重大である、と思ったりしている今日この頃です。

 

 よく親が子供に「勉強しなさい」と言う光景がありますが、私は心の中で「もっと親自身が学ぶ姿勢を子供に見せないからいけないんだ」と思わずつぶやいたりすることが多いです。

 

 ちょっと冗談っぽく言うと、政治家の2世議員とかお医者さんの子供を同じ医者にするとかなんかも、ある一種の「親のDNAの遺伝」と言えるかもしれません。

 

 ついでに言うと、例えばの話ですが、私が年老いてこの頃になって思うのは、親戚つき合いというか、どうしても親戚同士の親同士のライバル意識というのがあって、親戚の子供のいいところは取り入れようとせず、どうしても親戚の子供の欠点ばかりを探してしまう、という傾向が見られるということです。

 

 親戚の子供のいいところは、是が非でも真似したくない、取り入れたくない、肯定したくない、ということが感じられます。

 

 ちょっと余談でした。

 

 以上、かなり論理に飛躍があり過ぎるかもしれませんが。ご容赦を。

 

  お後よろしいようで。




2017年3月3日金曜日

時間の使い方の巧拙

              ( JR南武線武蔵中原駅構内 )



「時間の使い方の巧拙」


 今回のブログは「時間の使い方の巧拙」について、あくまでも私見です。

 

 今までは、仕事なんかで時間に追われていましたが、これからは時間を追うという感覚で過ごしたいものです。

 

 つまり、時間を自由に自分でコントロールする、自分の思いのままに時間を使う、という感覚ですかね。

 

 どちらかと言うと、計画的にスケジュールを組んで処理する、いわゆる段取りを上手に行うということですかね。

 

 これに、物事を行うのに、優先順位をつけて、優先順位の高いものから処理する、ということも含まれているかもしれません。

 

 それから、断捨離して、不要不急・優先順位の低いものは、カットして行わない、ということも大事です。

 

 それから、即断即決ですね、例えば外食なんかでメニューを見てどんな食事を選ぶかというときも、できるだけ短時間で決める、ということを心がけています。

 

 また、外食時にはできるだけ混まない時間、待たされない時間、例えば昼食時は午前

11時~12時くらいを選択しています。

 

 即断即決のためには、判断力を養うことが大切になってきます。

 

 また、お金の支払いにも、できるだけ電子マネー(私の場合は東急電鉄系のPASMO)を使用して、支払いとかおつりとかにかかる時間を短縮しています。

 

 また、最近ではインターネット通販で物を買うことが多いのですが、これも現地へ出向く時間とか電車代とかで、随分と時間が短縮できています。

 

 

 もう一つ、違った発想で大事なのが、同時に2つのことを並行して行うということです。

 

 例えば、YouTubeに動画を登録する際には、1、2時間かかるのですが、その間自分は別のことをする、ということです。

 

 これは、ある単位時間に作業量を2倍かそれ以上にすることで、見かけ上時間短縮を行うことになると思います。

 

 私は最近この同時に複数の作業をこなす、ということを心がけています。

 

 また、ちょっと発想が飛躍するかもしれませんが、最近人口減なんかで、ロボットを

活用して労働力不足を補うという風潮がでてきました。

 

 私は、このロボットを活用する役割について、ある意味パソコン・スマホなんかも、そういう労働力不足を補うという、同じことが言えるかなあと、ふと思いました。

 

 つまり、パソコン・スマホなんかを個人の秘書として扱えば、これはもう立派な即戦力というか、個人の仕事に協力してくれる秘書、仕事に協力してくれる仮想の人物(人間)とみなすことができるような気がします。

 

 そうすると、パソコン・スマホなんかも一人1台ずつ、よりも一人数台以上持った方が、

仕事が多くできる、自分が複数人に仕事をやってもらっている、という感じがしないでもないのですが。

 

 しかも、複数のパソコン・スマホを同時並行的に扱うと、これはもう何人力、複数人力になるような気もしますが。

 

 かなり、発想が飛躍し過ぎました。

 

 まあ、最近私は時間が足りないのを実感していまして、今回このようなテーマになりました。

 

 それと、「時間の使い方の巧拙」がその人の人生の成果・成績につながるような気がします。

 

 以上、私の独断と偏見の勝手な意見でしたが、この「時間の使い方」についての本は

沢山ありますので、興味のある方は本を読むなり、人に聞いたりしてください。

 

 もっと一般的な、わかりやすい説明、とか納得できる説明があるかと思います。

 

 「時間」は万人に共通に、全く平等に与えられていますので、この「時間の使い方」がとても大事なように思います。
 
 
 
  お後よろしいようで。
 
 
 

 



2017年3月2日木曜日

人の能力には、そんなに差があるわけではない。

            ( 東京・田園調布せせらぎ公園 )



「人の能力には、そんなに差があるわけではない」

 
 今回のブログは、「人の能力には、そんなに差があるわけではない」です。

 

 私なりの、独断と偏見の勝手な見方ではありますが。

 

 人間の脳の大きさ(脳細胞、神経回路、の数とか重さ)は、各個人間でもそれほど大きく違っていなくて、まあせいぜい数10%以内、私から言わせれば誤差の範囲だと思います。(あくまでも想像ですが)

 

 また知能指数IQも、平均値が100くらいで、天才とか言われる人でもせいぜい

140~150くらいらしいです。

 

 つまり、コンピュータに例えると、人間の脳というハードにはほとんど差がなくて、

要はソフトとか いかに活用するか、ということの方が重要だということです。

 

 このソフトとか いかに活用するか、ということが努力とか、成長とか、学習とか、

に相当すると思うのです。

 

 ソフトバンクGの 孫 正義 社長の話によると、コンピュータのAI(人工知能)なんかは、今後知能指数IQが1万とかそれ以上になるらしいですから、これはもう驚愕です。

 

 リオ・オリンピックのメダリストなんかも、肉体的にはそれほど変わらないのですが、

やはり人1倍努力する、いや人の何倍も苦労して努力して練習して、一番努力して鍛錬した人がメダルを獲得するみたいなところがあるのだと思います。

 

 人間の生まれながらに持っている能力は、そんなに差があるわけではありません。

 

 その後の育っていく過程で、いかに努力して苦労して、鍛錬して練習して、成長していくか、が ほんの紙一重の差となって現われるのだと思います。

 

 これは、オリンピックなんかのスポーツでの肉体的な鍛錬・練習のみならず、

精神的な学習・人格の向上・人間性の向上なんかにも言えると思います。

 

 経験を積むことも大事だし、読書なんかによって、他人の経験を取り入れる、ということも大事だと思います。

 

 つまり、極端に言うと、ある観点から見ると、違いは(差は)努力するかしないか、

やるかやらないか、というところにかかっているような気がします。

 

 余り長くなるといけないので、この辺までで。
 
 
 
  お後よろしいようで。

 

2017年3月1日水曜日

苦労を楽しむ





「苦労を楽しむ」


 
 今回のブログは、「苦労を楽しむ」です。

 

 この「苦労を楽しむ」ことができるようになったら、「人生を楽しむ」ことができるような気がします。

 

 この言葉「苦労を楽しむ」に最初に出会ったのは、確か私が30才代前半くらいのときに、日本経済新聞の「私の履歴書」というコラムで、誰だったか忘れたのですが、ある有名な方が、書いていました。

 

 最近見た「釈迦=ブッダ」の生涯のDVDでも、人生は苦であり、苦労ばかりである、

しかし、死期が近づいてきたときには、「人生は美しい」とか言っていたような・・・。

 

 つまり、この人生は苦であり、苦労ばかりである、ということを悲観的にとらえて、

苦痛のみとしか受け取れないのか、ということです。

 

 ここで、この人生は苦であり、苦労ばかりである、ということを楽観的というか、ポジティブというか、前向きにとらえて、結果的には自分を成長させるもの、自分を向上させるもの、という風にとらえ直すことが必要だと思います。

 

 練習とか学習とか訓練とか修行とか、仕事とか子育てとか夫婦関係なんかもそうかもしれない、そういうことはどうしても苦労を伴うのですが、その苦労したことの結果として、

良い結果が得られる、のだと思います。

 

 どうしても苦労を伴うのであれば、その「苦労を楽しむ」という心境・境地・心構え・姿勢、に到達する、というかそういう心の持ちように到達する(悟り)のが大事なように思います。

 

 人間はともすれば、どうしても楽な方、怠惰な方、何もしない方、に心が傾きがちなのですが、これは良くないのです。

 

 これは、過去に生きた人の歴史、とか過去の人の生き様、などからも証明されていると思います。

 

 昨年の、リオ・オリンピックの卓球女子団体で、銅メダルだった選手の一人、福原 愛選手が試合直後、「苦しかった」という発言がありましたが。

 

 それを見ていて、もう一歩心の持ちようを進めて、「苦しかった、けれども楽しかった」という心境になってほしい、と思ったことでした。(傲慢な言い方は慎まないといけないのですが)

 

 ここで、思い出したのは、以前「吉野家」の社長だった、安部 修仁社長(当時)の

講演会で、「BSE(牛海綿状脳症)のときに、アメリカからの牛肉の輸入がストップし、

会社が倒産の危機に陥ったとき、非常に苦労した」という話の後で、「しかし、今人生を振り返ってみると、そのときが一番印象深くて楽しかった」というような発言をされていました。

 

 当時の、リオ・オリンピックのときの選手で、「試合を楽しんできます」という人も増えてきていたりして、心構え的にはいい傾向かなあ、と思ったりしたことですが。

 

 リオ・オリンピックの試合を見ていて、勝敗を分けるのは、本当に紙一重のような感じがします。

 

 極端なことを言うと、いかに練習とかの苦労を他の選手より多くしているか、が勝敗を決している、という見方がある面では言えるかもしれません。

 

 つまり、この「苦労を楽しむ」ことができるようになったら、「人生を楽しむ」ことができるような気がします。

 

 このことは、スポーツのみならず、仕事や家庭、人生のあらゆる面で、言えると思います。

 

 余り長くなるといけないので、この辺までで。
 
 
 
 お後よろしいようで。