「親のDNAは遺伝するか」
今回のブログは、「親のDNAは遺伝するか」です。
ここで私が言う「DNA」は、ハードウェア的な生物学的な「遺伝子」そのものではなくて、ソフトウェア的な後天的な「親の生活態度」とか「親の価値観」とか「親の人生観」とかいう類のことです。
これは私の勝手な独断と偏見によるもので、決して科学的に正しいとか間違っているとか、ということではなくて、私なりの見方・私見・発想みたいなものではありますが。
例えば、人の性格なんかの形成においては、先天的なものとか素質とかによるものと、
後天的な環境とか経験とか友人とか読書なんかによるもの、とがあるみたいなもんですかね。
それで言いたいのは、その人の成長過程で大きく影響を及ぼしていると思われるのが、
この「親のDNA(生物学的な遺伝子)」と「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、
親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」があり、この後者の遺伝子の方も大いに影響を受ける(遺伝する)ということです。
極端な例では、お金持ちの子供は、将来お金持ちになる確率が高く(遺伝する)、
貧乏人の子供はいつまでたっても貧乏から抜け出せない(遺伝する)、みたいなところがあるように思います。
余り長くならないように、例えば(いい悪いは別にして、いいとか悪いとかいうことではなく、得手勝手な想像で言うと)、わかりやすい例では、お医者さんとか農業なんかの
職業ではどうしてもその職業の範囲内でしか世の中のことを見ようとしない、世の中のことがよく見えていない、世の中の出来事をよく把握することができていない、という傾向があるように思われます。
一般的な抽象的な表現では、「井の中の蛙が大海を知らない」、広い視野で世の中を把握することができない、みたいなところがあるのかもしれません。
これは決してそういう職業がよくないというのでは決してなくて、どうしてもそういう傾向にならざるを得ない、極端に言えば一種の職業病みたいなところがあるとは思われますが。
こういう負の面というか、世の中のとらえ方が狭い、とかいう問題に対処するためには、
どうしてもそういう世の中の動きを捉える方法とか知恵・知識を学んで、貪欲に取り入れてていく必要があると思われます。
まあ、お医者さんとか農業なんかの職業でも、とても立派な職業であり、それはそれで結構なんですが。
まあ、子供が別の職業とか一般的な会社員とかになる場合には、お医者さんとか農業なんかの職業での「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」は余り受け継がれなく、また余り成長において意味をなさない、ということになるかもしれません。
何を言いたいのか支離滅裂的になってきましたが、要するに「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということです。
それで、以前 稲盛 和夫 さんなんかの説でも、「家庭教育」が大事だと言っていますが、「学校教育」のみならず、「家庭教育」の重要性を言いたいわけです。
「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということがこの「家庭教育」に通じる大きなファクターだと思ったりします。
思えば、この子供の学習意欲とか、成長意欲とか、修行精神なんかは、この「家庭教育」
つまり「親の(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということを言いたかったわけです。
それと、子供の人格の形成、人格の向上において、この「親の(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」の遺伝が、それこそ決定的に大きな影響を及ぼすと思われます。
ついでに言うと、親からの有形の財産(お金とか土地なんか)よりも、親からの無形財産(学ぶ姿勢とか、教育方針とか、ここで言う親のソフトウェア的な環境的なDNA的な遺伝子)の方がよっぽど大きいと思われます。
そういう意味では、「親から受ける、親の生活態度、親の価値観、親の人生観、という(ソフトウェア的な環境的なDNA的な)遺伝子」も遺伝する、ということで親の責任というか役割は非常に重要で重大である、と思ったりしている今日この頃です。
よく親が子供に「勉強しなさい」と言う光景がありますが、私は心の中で「もっと親自身が学ぶ姿勢を子供に見せないからいけないんだ」と思わずつぶやいたりすることが多いです。
ちょっと冗談っぽく言うと、政治家の2世議員とかお医者さんの子供を同じ医者にするとかなんかも、ある一種の「親のDNAの遺伝」と言えるかもしれません。
ついでに言うと、例えばの話ですが、私が年老いてこの頃になって思うのは、親戚つき合いというか、どうしても親戚同士の親同士のライバル意識というのがあって、親戚の子供のいいところは取り入れようとせず、どうしても親戚の子供の欠点ばかりを探してしまう、という傾向が見られるということです。
親戚の子供のいいところは、是が非でも真似したくない、取り入れたくない、肯定したくない、ということが感じられます。
ちょっと余談でした。
以上、かなり論理に飛躍があり過ぎるかもしれませんが。ご容赦を。
お後よろしいようで。
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